6月12日は、日本の視覚効果技術で名を挙げた山崎貴監督の誕生日
山崎貴さんは、1964(昭和39)年6月12日、長野県松本市に生まれました。山々に囲まれた町で育った少年は、模型を作り、絵を描き、頭の中の空想を手で形にすることが好きでした。大きな転機は、12、13歳のころに出会った『スター・ウォーズ』と『未知との遭遇』です。スクリーンの向こうに、現実には存在しない宇宙船や光、未知の生命が当たり前のように立ち上がる。その驚きが、「こういうことを仕事にできたら」という思いに変わりました。
本人は、最初から映画監督を一直線に目指したというより、まずはVFXという特殊撮影技術の撮影者、卒業文集に書いた言葉でいえば「特撮マン」になりたかったと語っています。地方の中学生にとって、その職業への道筋は決して見えやすいものではありません。それでも中学3年で初めて高級機材だった8ミリカメラを借りて映画を撮り、松本県ケ丘高校でも校内で上映しました。こうした経験を経て阿佐ヶ谷美術専門学校へ進みました。

『未知との遭遇』の視覚効果で有名なスティーブン・スピルバーグ監督も、11歳ころには父親の8mmフィルムで『ラスト・ガンファイト』 (The Last Gunfight) という西部劇を撮影し、当時からさまざまな工夫をしながら視覚効果を試していたそうです。山崎さんも、手を動かし、失敗し、仲間を巻き込む地道な夢を重ねて、映像で人を驚かせるプロになる決意へ向かっていきました。
CM監督から映画監督デビューまで
専門学校を出た山崎さんは1986年、映像制作会社の白組に入社します。白組ではCM制作を数多く手掛け、ミニチュア、操演、CG、合成など、短い秒数の中で観客の目を奪う技を磨いていきました。CMは一瞬で世界観を伝えなければならず、予算も時間も限られます。その制約は、後の映画づくりに欠かせない「どこに力を注ぐか」を見極める訓練になったはずです。
その後、伊丹十三監督の『大病人』『静かな生活』などではSFXやデジタル合成を担当し、絵コンテを描いて演出案まで提案するうちに、いつしか「影の監督」のような役割も担いました。伊丹作品の現場で何度もテストピースを撮らされた経験は、映像に妥協しない姿勢を鍛えたといいます。
※ ここまでの部分の主な出所は「白組」公式サイトです。
日本アカデミー賞受賞と、その後の作品
やがて社内でオリジナル映画を出そうという機会が訪れ、壮大なSF企画『鵺/NUE』を提案しますが、必要予算が大きく膠着します。そこで規模を現実的に組み替え、白組のCG班を生かせる企画として練り直したのが『ジュブナイル』でした。大作への憧れを捨てるのではなく、まずは実現できる形へと翻案したのです。結果として完成したのが2000年公開の、少年たちのひと夏の冒険を描くSFファンタジーであり、これが山崎さんの監督デビュー作となりました。
デビュー後の『ジュブナイル』『リターナー』でVFXの才を示した山崎さんを、国民的な人気監督へ押し上げたのが、3作目の『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)です。昭和30年代の東京を巨大なセットだけでなくVFXで呼び戻し、路地の生活感、建設中の東京タワー、夕焼けの空気まで、人情劇の温度を損なわずに再現しました。同作は第29回日本アカデミー賞で最優秀作品賞、監督賞など12部門を受賞し、「VFXは怪獣や宇宙だけのものではなく、記憶や郷愁を支える技術にもなる」と広く示しました。山崎さんは当初、SFを撮り続ける道も望んでいましたが、阿部秀司プロデューサーに「幅を広げるため」と背中を押されたことが大きかったと振り返っています。
大ヒットと受賞は、山崎さんを「技術の人」から「物語を大きく届ける監督」へと印象づけました。CGを前面に誇示するのではなく、観客が懐かしさや家族の温度を感じるために使う。この発想が、以後の山崎作品の信頼につながります。続編が作られたことも、観客が山崎監督が創造した昭和の町に再び会いたがった証しと言えます。後の『永遠の0』『STAND BY ME ドラえもん』『DESTINY 鎌倉ものがたり』にも、現実と空想、人間ドラマと視覚効果を結ぶ経験が、製作における太い柱として生きているように見えますね。

※ ここの出所は松本市美術館です。
世界が認めた山崎監督のVFX
こうした山崎監督の歩みの集大成の一つが『ゴジラ-1.0』(2023年)です。山崎さんは以前からゴジラ好きを公言していましたが、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』で数分だけゴジラを出した経験で心身をすり減らしたこともあり、長編で引き受けるには覚悟が必要だったそうです。しかし、海のVFXで得た手応えを土台に、少人数の白組チームは、どこにVFXを集中させるかを初期から設計し、恐怖と絶望が物語を押し上げるように画面を組み立てようと考えました。
ハリウッド大作に比べれば体制は小さくても、使いどころを絞る判断、海や破壊のリアリティ、ゴジラを“感情の怪物”として見せる演出は、世界で幅広く評価されます。視覚効果が単なる見せ場ではなく、物語にどれだけ貢献したかを問われる賞であったことも、山崎さんたちの作品の強みになりました。

そして2024年3月の第96回米アカデミー賞で、山崎さん、渋谷紀世子さん、髙橋正紀さん、野島達司さんが視覚効果賞を受賞しました。これは、邦画・アジア映画として初の快挙でした。受賞後の山崎さんは、喜びと安堵を口にしつつ、日本映画が世界へ向かう可能性が広がったと語っています。一方で、賞そのものは目的ではなく、あくまでつくりたいものを徹底してつくった結果、道が開けた、という考えも示しています。世界に羽ばたいた今も、山崎監督の出発点は少年の日の驚きを失わなかった、まっすぐな気持ちにあるのではないでしょうか。
※ ここの出所はサライです。