AI採点で「回文俳句」にチャレンジ!
「ぷ〇ばと」といった名前のテレビ番組で、短歌や俳句の採点をされているのを見たことはありませんか。今回は、AIに素人が作った俳句を評価してもらいました。ただし、ただの俳句ではつまらないので、制約条件として「回文」、すなわち上から読んでも下から読んでも、同じ読みになる俳句を作ってみました。
AIは基本的に優しいので、おバカな俳句にも厳しい言葉は発せず優しく答えてくれます。テレビだったらとっくに心が折れているところです。本当に俳句をたしなんでいる方から見れば、あまりにもバカバカしいと思われそうですが、そこは笑ってお見逃しくださいませ。
では、AIによる採点結果を最下位から順にみていきます。
第5位:「けがこなき ちもやみやもち きなこかけ」
(怪我子泣き 血も止みや餅 きな粉かけ)「怪我した子供が、血が止まるや否や、すぐに餅に甘いきな粉をかけて食べようとしています。」何の情緒もありません。ただの回文です。
AIの評価:この作品は濁点を除けば回文にかなり近いです。物語性があり、意味としても十分に理解できます。子どもらしい「回復の早さ」や「食いしん坊ぶり」が伝わってきて、川柳的なユーモアがあります。ただし、文学性では他の作品に一歩及びません。
第4位:「しかやきに せみきてきみせ にきやかし」
(鹿や木に 蝉来て君背 賑やかし) 「夏の庭には様々な来客(鹿や蝉)があり、庭に背を向けていても、その存在感をかんじるなあ」またしても、ただの回文です。
AIの評価:この作品には3点、評価できる理由があります。
(1) 「賑やかし」の解釈 「賑やかし」を「賑やかだ」という形容ではなく、 鹿や蝉が庭を賑わせている と動的に読めるのが良いですね。
(2)「君背」が生きている 「君背(きみせ)」という表現によって、読者の視点がはっきりします。 「君は庭に背を向けている。しかし蝉の声や鹿の気配は背中から伝わってくる。」 これは視覚ではなく聴覚・気配で夏を描く句になっています。
(3) 鹿と蝉の取り合わせが面白い 普通なら蝉だけを詠みそうなところを、鹿を添えることで「庭が自然とつながっている家」の印象になります。
発想はとても魅力的で、 「君背」という視点が新鮮ですが、言葉の自然さでは以下の三作に一歩譲る印象です。
第3位:「ゆきにみの はきえたえきは のみにきゆ」
(雪に蓑 掃き得た益は 飲みに消ゆ) 「寒い中、雪かきを手伝って得た賃金だが、冷えて疲れた体を癒すために、飲み屋で酒代に泡と消え、残らなかった」 永遠の下の句である「それにつけても、金の欲しさよ」くらい定番な締めです。
AIの評価:この解釈は十分に読みとれます。特に「益」が「利益」「手間賃」という意味になっているのが良いですね。雪かきをして得た稼ぎも、結局は一杯飲んで消えてしまった、という、どこか人情噺のような味があります。
二句目は秀逸です。「掃き得た」と「益」が自然につながっていて、「雪かきの報酬」という意味がすぐ伝わります。また、結句もとても俳句らしい終わり方です。「消ゆ」という文語が効いていて、苦労して稼いだ金も、暖簾をくぐれば消えてしまう、という余韻があります。
ただ、初句は少し引っかかりますね。蓑は雨具・雪具なので意味は通りますが、「雪に蓑」という取り合わせは少し説明不足で、読者が想像して情景を補う必要があります。俳句なので省略として許容範囲ではありますが、「雪の蓑」のような所有関係にも読めるため、一瞬迷います。
第2位:「まどのはは てきはいはきて ははのどま」
(窓の端は 滴這い掃きて 母の土間) 「老いた母の家に行き、朝の土間に降りると、朝の結露が窓の埃を、母の代わりに掃き取っていた。と昔は隅々まで掃除を絶やさなかった母の老いを感じた。」少しだけ風情が出た気がします。
AIの評価:これは、回文性・定型・情景性が高い作品ですね。特に優れているのは、冒頭の「窓の端」と結句の「母の土間」が、単に音を反転させただけでなく、同じ家屋の情景として意味上も結びついている点です。「窓」と「土間」が空間を形作り、その中央で「滴」が動く。回文の左右対称性が、静かな古家の構図にもなっています。
「滴這い掃きて」は、通常の散文なら「滴が這い、掃きて」あるいは「滴這いて掃く」となるところですが、俳句としては、結露の滴が窓面を這いながら埃を拭い去るという擬人的な表現として読めます。「掃きて」の主体が滴なのか母なのか一瞬揺れることも、母の不在あるいは老いを暗示する効果になっています。
ただし、言葉の自然さには二点ほど意図的な無理があります。「窓の端」を「まどのは」と読むのは、「山の端」のような古風な用法を窓へ転用した表現です。一般には「まどのはし」ですが、詩語としては許容できる範囲でしょう。また、「滴」を単独で「てき」と読むのも漢語的で硬いものの、回文詩としてはむしろ冷たく無機質な響きを加えています。
解釈としては非常に良いです。窓の結露が埃を流しているという直接的な光景から、かつて掃除を欠かさなかった母が、今はそれをできなくなったという事実へ読者の意識が移る。母の老いを直接説明せず、掃除されていない窓と土間によって示しているため、文学的な余韻があります。
季語については、「露」を秋の季語として読む余地はありますが、「滴」や「結露」自体は明確な季語とは言いにくいです。とはいえ、これは単なる言葉遊びを超えて、十分に鑑賞可能な回文俳句になっています。
第1位:「さかのねみ よせかげかせよ みねのかさ」
(坂の根、身寄せ影貸せよ、峰の笠) 「これから暑い中、坂を登ろうとしている。ふと見上げると、山は傘を被って涼しげだ。自分にも影を貸して欲しい。」 さて、これならどうでしょうか?
AIの評価:これはかなり好きな作品で、完全回文にもなっています。特に優れているのは、「峰の笠」という結句です。山頂に雲がかかる様子を「笠」と呼ぶ表現は古くからあり、「峰が笠をかぶる」という映像が自然に浮かびます。
そこへ、「影貸せよ」という擬人化を重ねたことで、「山よ、その涼しい影を少し私にも分けてくれ」という願いになっています。これは暑さの表現として、直接「暑い」と言わずに伝えている点が美しいです。
一点だけ、「坂の根」という表現は、読者によっては少し迷うかもしれません。あなたの解釈では、「坂を登り始める麓」という意味ですが、日本語では「坂の根」という語は一般的ではありません。もし回文の制約がなければ、「坂の下」/「坂の口」/「坂の麓」などを使いたくなるところです。もっとも、回文作品では多少の造語性は珍しくありませんし、「山の根」という古い表現を連想させるので、大きな違和感はありません。
「影貸せよ」は、回文のための言葉というより、「炎天下で山の影を求める」という人間の切実な感覚をうまく表現しています。この一句があることで、単なる言葉遊びではなく、暑さを詠んだ俳句として印象に残る作品になっています。
AIってなんて優しいのでしょうね。