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5月15日、京都の爽やかな初夏を告げる葵祭

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毎年5月15日に行われる葵祭の「路頭の儀」

葵祭(あおいまつり)は、賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭で、5月初旬から前儀が始まり、毎年5月15日には、平安装束をまとった人々が練り歩く「路頭の儀」が行われることで、よく知られています。

これは平安京の時代に、「賀茂祭(今の葵祭)」がただの氏神の祭から、都そのものの秩序を映す儀式になっていってからの伝統を反映しています。京都市の解説によれば、弘仁十年、賀茂祭は朝廷の律令制度の中で国家的行事として位置づけられたそうです。これ以降、賀茂の神へ国家安泰を祈ることは、宮廷の年中行事の一部となりました。貴族たちにとって「祭」といえば賀茂祭を指すほどで、五月の都はこの日のために衣装を整え、牛車を用意し、沿道の見物場所をめぐって胸を躍らせた、とされています。祭は神に向かう祈りであると同時に、人々に「都とは何か」を見せる舞台でもありました。(出所:京都観光オフィシャルサイト

現在の「路頭の儀」にも、この頃の政治の様子や美意識が引き継がれています。勅使、検非違使、内蔵使、山城使、斎王代、風流傘、御所車など、当時の官職や身分を反映し、また神事と遊興が重なっていた時代を反映した、現代の行列は総勢五百余名、馬三十六頭、牛四頭を数え、約八キロを進みます。

災いを鎮める馬の鈴や猪頭

葵祭の古名はもともと賀茂祭と言いました。今は優雅な行列として知られていますが、当初は雅な催しというより切実な祈りで始まりました。伝承によれば、欽明天皇のころ、風雨が激しく五穀が実らず、国に飢えと疫が広がりました。占いの結果は、賀茂の神の怒りがあることを告げたため、朝廷は旧暦四月の中酉の日に祭礼を行わせ、馬には鈴を掛け、人は猪頭をかぶり、駆けくらべをすることで神をお迎えしようとしたそうです。実は、今のものよりもっと激しい行列だったのかもしれません(下記のイラストは時代考証の無い、単なる筆者の想像です)

のちの王朝絵巻の下には、走る馬の音、揺れる鈴、野の匂いを感じるような絵が描かれています。これは、この祭事が、古来から日本人が大切にしてきた、自然の気配を読み、災いを鎮め、収穫を願う、という感覚を共有する共同体を作ってきたことを表しています。一般に、京都の祭と聞くと、洗練された衣冠や牛車をまずイメージしやすいです。しかし、この祭の根源は、田畑の水、空模様、疫病への恐れに深く伸びています。だからこそ、五月の若葉の季節に行われる行列は、人々が見えない力や自然と折り合いをつけようとし、「どうか日々が穏やかであれ」という願いと記憶を引き継いでいるものなのです。

『源氏物語』の車争い

葵祭がどれほど人を集めたかは、『源氏物語』の「葵」巻に記されています。このパートで有名なのは、光源氏の姿を一目見ようとした六条御息所と、正妻・葵の上の一行が、牛車の場所をめぐって衝突する「車争い」です。現代に言い換えれば、人気行事の沿道で起きた場所取りの騒動と言えるかもしれません。ただし、平安時代の牛車はただの乗り物ではなく、車の位置はその人の身分、面目、恋の立場まで映す小さな舞台でした。このため、人目を避けて来た御息所の車が押しのけられ、衆目の中で辱められる場面は、祭の華やぎを背景に、宮廷社会の残酷な視線を鮮やかに描いていました。

この出来事が起きたのは、現在の行列にあたる日ではなく、斎院の御禊の日の出来事として語られています。このように、葵祭は「路頭の儀」だけではなく、その前からの開催期間を含めて、賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)や賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)に祈る厳粛な行事でありながら、恋、嫉妬、噂、見物熱が交錯する都の社交空間だったのでしょう。さらに、「葵」が「逢ふ日」を連想させる言葉遊びを持つことを思えば、祭の日は人と人の距離が急に近づく危うい一日でもあったのかもしれませんね。

途切れても戻ってきた祭

長い歴史を持つ葵祭ですが、実際には空白期間もありました。応仁の乱の後、元禄期までおよそ二百年にわたり中断していましたし、明治初期や戦時中にも行列は中断していました。それでも、社会が落ち着いて再興されるたびに、人々は古い儀式を拾い直し、時代に合う形で組み立て直しました。例えば、今は「葵祭」と呼ばれますが、この祭りの名はもともと「賀茂祭」で、江戸時代の再興後、内裏の御簾、牛車、勅使、衣冠、牛馬まで二葉葵で飾るようになったことから、葵の名が広まったのです。また、昭和三十一年には、鎌倉時代に途絶えていた斎王の姿を受け継ぐ「斎王代」を中心に、女人列が復活しました。

一旦、途絶えたものを復元するとき、人は単に昔をなぞるのではなく、選別して何を残し、何を見せ、何を新しく託すかを選んでいきます。こうした、原初、その後の変化、そして今を楽しむのも、長い歴史を持つ「葵祭」ならではの楽しみ方かもしれません。

上田 祐介
上田 祐介
チーフインベストメントストラテジスト
JTG証券経済調査室長 兼 チーフインベストメントストラテジスト。クオンツアナリストとして職歴を開始。その後は複数の大手外資系投資銀行などで主にクレジット市場関連の業務を歴任。海外クレジット市場の分析に強み。

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