日本ダービーの原点が生まれた日 : 4月24日
(1) 第1回東京優駿大競走(1932年4月24日)
1932年4月24日、現在の日本ダービーの原点でもある第1回・東京優駿大競走が、東京の目黒競馬場で開催されました。英国のダービーを模範とし、3歳馬の頂点を決める競走として新たに創設されたこのレースは、当時の日本における近代競馬の象徴であり、1着賞金が1万円と高額だったこともあり金銭と名誉を求めて多くの馬が出馬登録を行いました。前年10月の第1回出馬登録には全国から168頭もの申込みがあったとされ、1932年1月の最終登録時には72頭が登録しました。
最終でありメインレースの第10競走の距離は2400メートル、出走馬は18頭とされ(最終的には19頭が出走)、各地から有力馬が集結しました。優勝したのはワカタカで、初代ダービー馬として名を刻みました。当日は約1万人の観衆が入り、スタンドからは多くの観客が、土煙を上げて直線を駆け抜ける馬群に歓声を送っていました。当時の動画がYouTubeにも投稿されています。
(2) 戦前から戦後へ:日本競馬の変遷
第1回東京優駿大競走は、単なる一大会にとどまらず、現在まで続く「ダービー=世代最強決定戦」という位置づけの走りともなりました。ただ、投票権の購入資金からの控除率は当初15%でしたが、戦争の開始に伴い18%に引き上げられ、さらに払戻金が150円を超過する場合は超過分の支払いを国債等で支払うようになり、さらに1942年には控除率が約32.5%まで大幅に引き上げられました。ここまでくると競馬人気も急落し、前年比で約40%程度も馬券売上が減少し、結局、1944年には競馬開催自体中止され馬券の発売も停止しました。
1946年10月に中央競馬は再開されましたが、当初は控除率の低い競輪が人気で、競馬の人気が戻ってきたのは連勝式馬券の発売や、場外馬券の発売が認められるようになり、さらに再び控除率が25%に引き下げられた1950年以降のことでした。その後は、公営競技として制度が整備され、競馬は娯楽と産業の両面で急速に復活していきました。高度成長期には大衆娯楽としての地位を確立し、日本ダービーも再び国民的行事としての輝きを取り戻していくこととなりました。
(3) 日本サラブレッド血統の礎:トウルヌソルとワカタカ
初代ダービー馬となったワカタカ誕生の背景には、国際的なサラブレッド血統の流れがあります。ワカタカの父は、フランス産の種牡馬トウルヌソルで、日本に輸入されてから改良競馬の基盤形成に大きく寄与した一頭となりました。当時の日本競馬は、欧州からの血統導入によって急速に近代化しようとしており、特にスピードと持久力を兼ね備えたサラブレッドの特性が重視されていました。
トウルヌソルは、昭和初期(1930年代から1940年代)の日本を代表するサラブレッド種牡馬で、1935年から1939年にかけて5年連続で日本のリーディングサイアーとなりました。なお、リーディングサイアーとは、ある国/地域/団体で、1シーズンの産駒(生まれた子供)の獲得賞金の合計額が最大の種牡馬を指します。またトウルヌソルの子供たちからは、ワカタカを含む6頭の東京優駿優勝馬が誕生しています。これは、2021年までに7頭の同レース優勝馬を輩出したディープインパクトに次ぐ頭数で、同数のサンデーサイレンスと同数での2位の記録となっています。
(4) 目黒競馬場のその後
日本ダービーが初めて行われた、目黒競馬場は、現在ではすでに存在しません。しかし、その痕跡は今も街の中に静かに残っています。例えば、目黒周辺には「元競馬場」という交差点があり、「元競馬場前」というバス停も残っています。さらに、目黒競馬場跡の記念碑も残されています(記念碑のモチーフになっているのは「トウルヌソル」です)。機会があれば、日本の競馬史を振り返りに、訪れてみてはいかがでしょうか。
