西ローマ帝国最後の皇帝の退位(9月4日)
西ローマ帝国の最後
476年9月4日、西ローマ帝国最後の皇帝とされ、まだ10代半ばだったとみられる少年皇帝ロムルス・アウグストゥルスが、ゲルマン人の将軍オドアケルによって廃位されました。この日は一般に「西ローマ帝国滅亡の日」とされ、古代と中世を分ける象徴的な転換点と位置づけられています。ただし、ローマ文明が一夜にして消えたわけではありません。長い衰退と変容の末、西ヨーロッパから皇帝という政治的な中心が失われた日だったのです。

西ローマ帝国は、476年よりはるか以前から弱体化していました。395年にテオドシウス1世が死去すると、息子のアルカディウスとホノリウスが帝国の東西をそれぞれ統治する体制となります。その後、、西側では税収の減少や政争が続き、広大な国境を自前の軍隊だけで守ることが難しくなります。さらに、ゲルマン系諸集団の移動や侵入が重なり、軍事面でも異民族出身の兵士への依存が強まっていきます。この結果、軍事力を握ったゲルマン人指導者が皇帝をしのぐ実権を持ち、オドアケルによる廃位へと至ったのです。
最後の西ローマ皇帝
ところで、この最後の皇帝である最後の皇帝ロムルス・アウグストゥスは、「ローマの始まり」を背負った名前を持っていました。ローマ建国者「ロムルス」と初代皇帝「アウグストゥス」を合わせたような名前だったのです。ローマの始まりを象徴する二人の名を持つ少年が、その西側の歴史に幕を下ろしたことになります。ただし「アウグストゥルス」は正式名ではなく、「小さなアウグストゥス」「ちび皇帝」といった意味のあだ名でした。

敗れた皇帝は処刑されることも珍しくありませんでしたが、オドアケルはロムルスの若さに同情し、命を助けました。史料によれば、年間6,000ソリドゥスという多額の扶持を与え、ナポリ近郊の城館へ移したとされます。その後の消息は不明ですが、6世紀初めまで生き、「年金生活」に入っていた可能性を指摘する説もあります。世界史の一時代を終わらせた皇帝が、実際には静かな「引退生活」を送っていたかもしれません。詳細は、記録には残っておりません。